振り飛車穴熊の由来と歴史
名前の由来
香車を1マス前進させて空いた隅に玉が潜り込む様子が、熊が穴蔵に入るように見えることから「穴熊」と名付けられたと言われています。古くは「岩屋」「獅子のホラ入り」とも呼ばれていました。
江戸時代〜近代:邪道視された長い時代
振り飛車穴熊はもともと振り飛車の囲いとして江戸時代から存在しており、穴熊囲いの最古の定跡記述は添田仙翁『将棊駒組啓蒙』(1731〜1762年)に「岩屋囲い」として登場します。ただし、駒組みに手数がかかりバランスが悪いとして長らく低く評価されており、1960年代頃まではプロの間でも「穴熊などやるようでは強くなれない」という偏見がありました。
1970〜80年代:大内延介が穴熊党を確立
1970年代に入ると、大内延介九段が振り飛車穴熊の優秀性を示し、各棋戦で結果を残すことで人気戦法としての地位を確立しました。昭和50年代には大内延介・西村一義・福崎文吾ら「穴熊党」が活躍。福崎文吾九段の振り飛車穴熊は、谷川浩司九段をして「感覚を破壊された」と言わしめるほどの強烈な印象を残しました。
居飛車穴熊の台頭と振り飛車の苦境
振り飛車穴熊の流行に続いて、田中寅彦九段が居飛車側でも穴熊に組む「居飛車穴熊」を体系化。居飛車穴熊は攻めの主導権を握りやすく勝率が高かったため、一時は振り飛車を絶滅寸前にまで追い込みました。これへの対抗として藤井猛九段が「藤井システム」を生み出し、穴熊完成前に攻略する作戦が注目を集めました。
現代:広瀬章人らによる復権
一時は下火になった振り飛車穴熊ですが、2010年に広瀬章人八段(当時)が振り飛車穴熊を駆使してタイトルを奪取するなど新たな可能性を示しました。また「フリアナ」の愛称で親しまれ、相振り飛車での活用など現代将棋においても研究が続いています。
📚 出典・参考
・Wikipedia「振り飛車穴熊」
・Wikipedia「穴熊囲い」
・添田仙翁『将棊駒組啓蒙』(享保16年〜宝暦12年、1731〜1762年)
・日本将棋連盟公式コラム「居飛車穴熊の特徴と組み方」(2018年)
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